社会の病理「無自覚の共依存型愛着関係」
人は生存の恐れを、注目化と近接化を得る愛着行動でコントロールする本能を持っている。しかしケア提供者であるべき養育者が情緒不安定なとき、本来ケア受給者であるべき子どもが愛着をえるために養育者の情緒的ケア提供者になることを余儀なくされる。その結果、成人してからも新たな家族や職場の情緒不安定な人を見出し、「依存させる、依存する」というかつての親子関係を置き換えた共依存型愛着関係を無自覚に得ようとする。
これは、私の師・宗像恒次の最近の言葉である。
私が「心と身体の談話室」をインターネット上に開設したのは2001年2月3日。いまから10年ほど前のことだ。
その頃の私は、ITを使った予防医療や保健指導支援がやりたくてたまらず、なのに自分の思いを十分に実現できていないというフラストレーションの中にいたように思う。
自分がかつて酷い自律神経症状に悩み、それが心の問題と密接に関係しているんだということも伝えたい。夜な夜なネットを彷徨う中で、多くの悩める人の相談に乗っている熱心な人と出会い、「私のような者が、同じようにネットで振る舞うことは傲慢か?」と訊ね、「なぜそのように思う?やりたいならやればいい。」と言われたことがきっかけだったと記憶する。
人助けをするのに傲慢?…私の中に、違和感はあったのだ。でもそれが何なのかが解らないまま、私はウェブサイトを開設し、私専用の掲示板を設置、寝る間も惜しんで悩める人の相談に乗った(掲示板の過去ログを拝見いただければご理解いただけると思う)。
訪問者の訴えの背後の気持ちを言い当て、こうしたらいいとアドバイスする。「(私と)話してよかった、元気になれた、ありがとう!」そんな言葉に、私は自身の生きがいを見出していた。。。
いま掲示板をご覧になっていただければ分かるように、ほとんど私は返信をすることがなくなった。私がいなくて寂しいと訴えられる方もいる。しかし私は、その言葉にほとんど反応しなくなった。それはなぜか…
答えは、冒頭の宗像の言葉にある。
ようやく私は、自分自身の共依存型愛着行動に気づいた。私は、ほんの数年前まで、私の掲示板に訪れるみなさんとの共依存関係にあったのだ。
また私は幼い頃、病弱で大変だと親からよく言われた記憶がある。それは病気になることで親の注目化を図るという私の無自覚の行動だったのか、あるいは、親自身が私を病気にすることで、こんなにも手をかけているんだよと、自身の存在意義を見出したかったのかはまだよく解らないが、いずれにせよ迂回した愛着獲得行動だったことは確かだ。
人はいくつになっても親の愛情を十分に感じられる(愛されていると満足する)まで、相手を変えてでもそれを得ようとする生き物であり、それが無自覚に行われ続けることが問題なのだ。
宗像は言う。その行動は、
「不安と不信と搾取」を伴う悪性ストレスの渦をつくりだす。自分に関心を向けられるのか、嫌われたらどうしよう…いつも不安の渦中に投げ出され、少しでも相手の反応が自分の思いと異なれば、そこに不信が生まれる。職場においては地位を利用し、搾取も行われることが後を絶たない。
ストレスはうつを生み、がんを育てる。いまの社会問題、医療問題の核心は、このストレスにあるといっても過言ではないだろう。
うつもがんも「不安と不信と搾取」の中で、自分独りがんばってがんばって、頑張り抜いた挙句に、どうしようもなくて発症すると聞く。しかし、それを契機に生き方を変え、本来の自分がやりたかったことを、我慢せずにする。できない言い訳をするのではなく、やれることを好きなようにやっていく。自分でできることに満足し、感動し、共に生きてくれる人に感謝し、尊敬し、安心の中で生きる。。。
いまの共依存社会から抜け出して自己報酬型で生きる幸せを、今後は届けていきたいと私は思う。
この記事へのコメント
ここに赤裸々に語るという勇気をお持ちなのは、すごいなと思いました。
ただ、過去にWebで依存関係があったとしても、ゆう星さんに救われた人、励まされた人は確実にいたのではないかと思います。その時の真摯な思いは、きっと伝わっていたんじゃないかな、と。